さまばけ

 

 

 

夏休みはやはり始まった瞬間の高揚感が1番たまらないものです。

 

「うわー!一生自由じゃんんんwwww人生余裕過ぎるwwwwwイージーモードだわwwwwwwww」

 

そうでしょう、そうでしょう。

わかりますよ、わかります。

 

 

無敵になった気分になりますよね、なんとなく予定を立てているとどれもこれも楽しみですよね。

 

夏祭り、海、プール、花火。

 

 

一部ではバイトバイトバイトバイトバイトバイトバイトバイry

などと唱えている人もいる模様です。

 

 

どんな人と過ごしたいですか?

仲のいい友達、恋人、家族、おじいちゃんおばあちゃん。

 

令和初の夏休み、有意義な時間を過ごしたいものですね。

 

 

学生であるときの夏休みほど思い出に残る日々は多分ないでしょう、たくさん馬鹿やって(人に迷惑かけない程度に)たくさん悔しい思いして、夏休み明けたあとのことなんて何も考えず、毎日毎日楽しく過ごしていけばいいと思います。

 

 

社会人になってびっくりしたのは、学生の40連休がなくなっても何故か平日は朝起きて会社にちゃんと行けてることですね。

絶対にできないと思ってましたが、案外できるものです。

社会人になっても、ちゃんとした会社に就職できれば夏休みだってしっかりあります。なので学生の諸君は就活だけは本気でやってくださいね。

でないと後悔すると思います、卒業した瞬間夏休みないのとかさすがに無理じゃない???

せめて10連休くらいほしくない??

 

来週の土曜日から10連休の筆者より。

 

青春

 

 

青春って満足するまでできるものでしょうか?

 

 

僕にも青春といえる日々がありました、やはり今思い返すと青春し足りないなと思います。

 

部活に明け暮れた高校生活、サークルやバイトをしながら卒業を目指した大学生活。

 

 

大学生活を送ったことがない人もいることでしょう、きっとそれぞれみなさんにも青春と呼べる時間があったことでしょう。

 

その辺を前提にして書いていきます。

 

 

 

部活動をしていた方、あなたは何部でしたか?

運動部ですか?文化部ですか?

 

または今現在部活動をしている方、どうですか?今あなたが過ごしている時間は。

 

 

 

つまらない時期も、楽しい時期も後々思い返すと大して変わりません。

印象深いことは確かに記憶に残りやすいですね、野球部の方ならホームランを打ったとかそういうことでしょうか?

 

 

 

 

 

時が過ぎて思い返すとある種の後悔が生まれます、それは人それぞれ。

「あの時…だったら」

「もう少し…していたら」

「あんなこと言わなきゃ(しなきゃ)よかった」

 

挙げればキリがないですね。

 

 

仕方ないですよ、その頃のあなたは今よりも子どもです。

今のあなたの価値観を完全に持ち合わせてはいません。

あの日のあなたはそれが正しいと思ってたはずです、正しくないと思っていたとしてもそう選択したのです。

その過去を持っているあなただから今のあなたなのです。

 

過去の連続体があなたという人物を作り上げています、連続体の一部分を変更したいと願うのは今の自分に不満があるからでしょうか?

 

 

 

どうでしょう、一概にそうだと確信を持って言うことはできませんが過去にもう一度を要求したくなる気持ちわかります。

 

 

今を青春している人は今できることをめいいっぱいやってください、日々記憶に残すことの出来る時間を過ごせますように。

 

 

 

成長1

 

 

 

昔友達にとあるスポーツのクラブに誘われた、仲の良かった他の友達にも声をかけて練習を見学しに行った。

楽しそうだからやってみることにした。

 

誘ってきた友達はその後すぐに辞めてしまった。

 

 

 

 

 

 

最初はポジションをもらえなかったけど、上達するごとに楽しさを覚えた。

コツコツと練習することの大切さを学んだ、今でもそれは僕にとって大事な価値観になっている。

チームは県内最強で練習はかなり厳しかった、でも楽しくて仕方なくて続けることに嫌気がさすことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

ある日練習試合で少し遠征になった。

交流のあるチームで、人数は僕のいたチームの3倍はいた。

 

僕のチームはレギュラーとそれ以外で分かれて練習試合となった、所謂2軍の体制で初めてポジションをもらえた。

守備を担うポジションで攻撃をしてみたかったものの、認めてもらえたような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2年ほど経った。

上の代が一気に減り、僕はレギュラーになり、チームの副キャプテンとなった。

ポジションは攻撃と守備のバランス型で、守備の司令部のような役割もあるものだった。

 

コーチや監督にはチーム内で最も守備が上手いとまで言ってもらえるくらいには上達した。

 

身長が高い方が有利なスポーツで、当時はジャンプ力で周りとの差を埋めていた。

だから攻撃もするポジションを任せてくれた。

新体制になって心配だったけど、1ヶ月程で先代の時のような安定感が生まれた。

僕は自信を持ってプレーしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ある日、練習に行ったらシューズがどこかへいった。

それは母が誕生日に買ってくれたもので、1万円以上した結構いいシューズだった。

監督に言ったら探してこいとのこと。ちゃんとカバンに入れたから持ってきていることは確かだけど、練習場所にカバンを置いてトイレに行って帰ってきたら見当たらずということだが、きっとどこかで出したのだろうと思いチームも半月後には大会を控えていたから1人で探した。

 

1時間以上探してようやく見つけた、体育倉庫の中にあった。

監督には見つけたということだけ報告し、そのまま練習に参加した。

いつも試合形式の練習を最後にする(レギュラー対2軍とコーチ)、いつもと違うのは誰も僕に声をかけないこと。だからチームメイトとぶつかってしまったり、指示が通らなかったりとミスが連発した。

 

それを見兼ねた監督は僕を叱り付けた。

初めて反抗した、だが意見など通らずその日は練習が終わるまでミスを続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の練習日、ポジションの降格と副キャプテン剥奪を言い渡された。なんだか納得がいかないが、それでこのチームが強くなると監督が考えているんだなと思って受け入れた。

練習最後の試合形式、僕の代わりに年下のチームメイトが僕が担っていたポジションになっていて僕は2軍にいた。

明らかに安定感がない、自画自賛するわけではないが守備が薄くなっていることが目に見えてわかる。コーチは監督に僕を1軍に戻すよう要求しているようだ、だが監督は苦虫を噛み潰したような顔で答えている。

そのまま2軍としてレギュラーと試合形式の練習をしていた。

 

 

練習が終わり、着替えようとカバンを置いていたところに戻るとカバンがなかった。

さすがに困ってしまうので監督にカバンがないことを報告しにいこうとするとキャプテンが追いかけてきた、彼は僕と一緒に練習を見学しに行きチームに入った友達だった。

もう細かく覚えていないけど、監督に言うな、みんなお前を嫌っている、お前の親はなんで練習を見に来ないんだみたいなことを言われた。

なんとなく想像はついていた。

チームの練習には他のチームメイトの親が何人か必ず来ていた、別にサポートをしてくれるわけでもないけどただ練習を見に、談笑をしに来ていた。

 

 

僕の親は共働き、裕福でもないから仕方なかった、練習はおろか試合だってたまに見に来てくれるくらいだった。親同士の交流もあったようだけど僕の親は全然交流なんかしていなかった。

別にそれは寂しいことなんかじゃなかったし、むしろ続けさせてくれて感謝していたし、たまにだけど試合に来てくれるだけで、気に入ったシューズだって誕生日に買ってくれたから十分嬉しかった。

 

 

 

キャプテンは言いたいことを言い終えるとケータイを取り出して誰かに電話していた、構っている暇もないからカバンを探しに行こうとすると腕を引っ張られた。

しばらくしてチームメイトがぞろぞろとやってきた、僕のカバンをもって。

 

 

僕は覚悟と決意を覚えた。

二度とチームスポーツはしない。

 

 

 

 

 

僕はボロボロになったカバンと服をもって家に帰った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数日して監督に辞めることを伝えにいった、引き止められることも無くすんなりと辞められた。

正直すごく迷った、汗水垂らして働いてる親が応援してくれてたから。こんなことで辞めていいのかって考えた、母親に打ち明けたら辛いと思うなら辞めていいよって言ってくれた。父親に話したらよく頑張ったって頭を撫でてくれた。

自分で考えて決意したことだから後腐れはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後々最初に誘ってきた友達の親伝いに聞いた話によると、僕の親が練習を見に来なかったことがチームメイトの親は気に食わなかったらしく監督に告げ口をした。

僕がチームメイトをいじめている、殴っていた、泣かした。

どれも聞き覚えのないことばっかり、知らないことばっかり。

貧乏だから親が働いていて見に来れないなどの陰口も散々叩いていたようだ。

 

 

 

 

大人になって思う、集団というのは一個人の集まりだが同じ考えを共有することで集団が1人の新たな自我を生むことがある。一個人の集まりに属した者が皆同じことを考えていれば標的も同じ、意見も同じ、省かれることも無くコミュニティにいられる。

僕の親は集団に属することは出来なかった、時間もなく余裕もないから。だからチームの親集団からしたら格好の的だし、同じ考えを持たせるには敵をつくるのが手っ取り早い。標的となったのは僕の親だろう、子を悲しませれば親はもっと悲しむとでも思ったのだろうか。

僕は幼いながらに人間の愚かさを見てしまった、ある意味反面教師だがやはり今でも他人に疑心暗鬼になることがしばしばあり、悪影響を与えられてしまっている。

 

今ではこの出来事が人格形成に支障をきたしたと言ってもいいし、そういう人格にしたと言ってもいい。

真に信頼出来る人なんてそう易々と生まれるわけじゃないけど、この歳になっても付き合いのある人には心を開いていられるのだろうなと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから運動部には入らなかった。

夢題

 

 

あなたはどこまで覚えていますか。

 

 

思い出したいのにあやふやで、残っている感覚を掴もうとしても記憶に刻めないもの。

 

 

 

夢ってそういうものだと思う。

 

 

 

 

 

 

夢の中でしか会ったことのない人はいますか。

 

 

名前も容姿も覚えていない人。

 

 

 

いつか現実で会えるのではないかって、よく考えていました。

その期待はもちろん叶わぬもので。でも不思議と悲しさはなくて。

 

 

記憶の中にいる人は本当は存在しない人、わかってはいるけどね。

たまに悲しくなる時もある。その人が死ぬ夢を見たりすると、現実で僕は涙を流している。

強烈な感情の動きで泣くこともある。

 

けど、すぐに消えていく感情。

顔を洗えばぼやけて、家を出たらもうその日みた夢のことなんて頭から消えている。

 

 

 

 

大切だけど知らないこと。

 

忘れゆくもの、でも確かにあった物語。

 

あなたにはそんな物語はありますか?

繰り返す泡沫

 

 

地図を広げた。

 

 

 

 

ここはどこだろう、どうやら持っている地図は全く役に立たないようだ。

懐かしさがあるが同時に違和感を覚えた。

一体いつからここにいるのだろう。

 

 

道を知っているように足が動く。

やがて確かに見たことがある場所に着いた。

 

4つの施設を繋ぐ、かなり大きな歩道橋のような場所。

 

 

 

 

遠くから声が聞こえる、徐々に鮮明になり音がはっきり聞こえた。

 

 

「ここにいたんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

小さな部屋にいた。

 

 

見たことも無い装置に知らないのに大切な人が入っている、眠っているようだ。

 

看護服の女性が近づいてきてスマートフォンのような端末を渡してきた。

画面には氏名、生年月日、職業を入力する欄があったが、持っているだけで、勝手に入力されていく。

 

知らない名前、見当違いな生年月日、聞いたことも無い職業名。

 

 

誰だ。

 

 

 

 

 

 

目の前で大切な人は眠ったまま。

 

誰なのか知らない、ただ感覚で理解している人。

 

 

声をかけてみる、もちろん返事はない。

病室のプレートみたいなものに名前が書いてあるようだ。

 

知らない名前。

 

 

そのまま立ち尽くしたまま眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

何時だろう。

 

 

 

外は暗そうだが認識が出来ないほどではない、気づいたらその部屋を後にしていて家に着いた。

 

 

 

「おかえり」

 

 

 

 

 

 

先程まで装置で寝ていたはずのあの子が部屋にいる、さっきの声の主だ。

疑問にも思わなかった、その人がいるとなんだか安心するようで心地いい感覚がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

外へ出た、朧気な記憶で確かに歩いたことがあると思う道を歩く。

 

 

 

 

 

この道は地図に乗っているようだ、目的地だと思う場所に向かって歩く。

 

 

 

だんだんと北へ進んでいることが分かった。

 

 

着いた場所はとてつもなく大きな旅館。

マンモス校の修学旅行なら同時に10校は受け入れられそうなほど大きな旅館。

 

 

 

 

どの部屋でも使っていいそうだったので2階の一室を選んだ。

 

準備が終わるまで旅館の中を歩いてみた。

 

不思議と誰ともすれ違うことは無かった。

 

 

 

気づいたら選んだ客室に着いた、扉を開けると既に靴が1足あった。

 

部屋に入る。

 

布団が2組敷いてあるが誰もいない。

 

 

 

 

 

「つかれた?」

 

 

 

あの声だ、確かにたくさん歩いたし休みたい。

 

 

あの子とはまた明日話がしたい。

 

 

 

 

 

 

もう真夜中みたいだ、何も見えなくなっている。

 

何も見えないのに声が聞こえる。

 

 

 

 

「また会いましょう」

 

 

ああそうか。

 

呟いて理解した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少し眩しい。

 

 

雨の音がする。

 

 

そういえばあの子は、顔が思い出せない、声は…?

 

 

 

 

最後の瞬間、理解したことを思い出す。

 

 

 

 

 

 

次はいつ会えるのだろう。

限り

 

 

 

時間は有限です。

 

 

 

あなたに与えられた猶予は有限なのです。

 

いつも通りの行動を選択しているとあっという間に過ぎているものです。

 

 

 

いつもと違うことをしてみましょう。

 

 

朝ごはんに24時間営業のラーメン屋に行ってみたり、いつも乗っているエスカレーターをやめて階段を登ってみたり。

夜睡る時は枕の位置を変えてみたり。

 

 

 

 

 

人生は有限です。

時間の使い方を標準化しすぎないでください。

 

 

 

 

日常を抜け出す手段は変化です。

 

 

 

 

 

 

 

 

変化を望んでいるのだけれど、根本的には変わっていかない。

 

例えばリズムを変えてみよう。

 

1人でも変えられる。

その気になれば周りもついてくるよ。

 

 

 

いつものリズムに緩急をつけて、今日はジャズみたいに、明日はロックに。

 

 

 

 

ギターでも弾こうかな。

分かち合うこと

 

 

今やグローバル社会となり、海外の人がたくさん来日してくださっています。

 

 

文化の違い

という一言で何故か正当化される事象もありますね。

 

海外に行ったことがある人はどのようにみえていることでしょうか?

 

 

僕は海外に行ったことがないのでわかりませんが、その国の文化を受け入れて行動することがリスペクトなのではないでしょうか。

 

 

 

マナーが悪い人は国籍問わず淘汰されがちですが国ごとにそれぞれマナーはありますよね。

行く先々の国のマナーを守って楽しく過ごしていくこと、来日してくれた方には親切に接し、わからないことを教えてあげることが真に分かち合うことですね。

 

 

綺麗事ですが。

 

 

 

 

 

後ろ指をさされないようにしましょう。